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先日、社員さんとの面談がありました。
時給アップについて。
その時に言われた言葉が印象的だったので今回はそれについて。
社員さんから言われた事をまとめると
「自己分析力には優れるが他の講師と共有ができていない。思いを伝えるのが下手」
ごもっともです。
人に手の内心の内を明かす(言い方は悪いですが)のが苦手です。
ついつい、自分だけで判断、解決しようとしてしまいます。
人は社会を作って生きる生き物です。
嫌でも社会とかかわらなければ生きていけない。
しかも健全に生活しようと思ったら他人のコミュニケーションも必要になってきますよね。
そのために必要なことが「分析」「情報共有」「共感」じゃないかな、と思います。
私は専門家ではないのであくまで感覚で、ですが。
今の状況や相手の気持ちが「分析」できないとそもそも会話になりません。
それができないとKYと言われるのがオチですよね。
だからまず前提として「分析」が大切。
次に話すことで「情報共有」をする。
どんな内容だって相手と話せば情報を共有したことになりませんか?
「昨日の夕飯はカレーライスだったよ」という他愛のない会話の中でも、自分の夕飯がカレーライスだという情報を共有することにありますよね。
噂話なんて「情報共有」の典型例だと思います。
そして最後に「共感」。
共感ができないと会話が成り立たなくなるんですよね。
共感しない=人の話を聞かないってことにもなりかねなせんか?
相槌すらしないで自分の話ばかりする人とは話はできませんよね。
この三つがバランスよくできている人が話上手なのではないでしょうか。
さらに「情報発信」が出来ればなおよしです。
これに自分を当てはめると、「情報共有」がとても苦手です。
自分から情報を発信して共有するのが苦手です。
だからこそ人の意見を聞いたりすることは人の倍するのですが……
しかし、情報の共有ができなければ問題がたくさんありますよね。
コミュニケーションが取れなければ連携することができないし。
共有することで新しく発見することもたくさんあるし。
うーん、少し反省、です。
この教授は考える事を良しとするのでこの場で考えてみます。
以前、非嫡出子の相続が2分の1であることを記事にしたと思います。
⇒参照記事:覚え書き
それについてとある教授が授業内で発言に驚きました。
以下発言要約
これって別に憲法違反でも平等原則違反でもない。
そもそも憲法は結婚について「両性の合意」として保護している。
つまり、結婚している事は憲法が保証しているわけであり、嫡出子が優遇されるのは当然。
子供がどんな親の下に生まれるかは選べない、子供に罪はない。
そういう意見があるが、嫡出子であっても裕福な家で沢山相続出来るか、借金まみれな家で借金を相続するかは選べない。
ある種の運命であるから仕方がない。
(本当はもっと柔らかい言葉でしたが、
一字一句思い出せる訳ではないので概要だけ纏めてみました)
成る程なと思いました、私は。
見る立場の人間が違えばこんなに考えも違う。
(因みにその教授は法律の解釈学が専門ではありません)
色々な反応があって当然なのですが、少し驚きました。
憲法の条文はあってないようなもの。
解釈で考えます。
(平等原則(憲法14条)だって平等としか書いてない。
何が平等であるべきかは解釈が必要です)
しかし、時として条文を素直に読む事が必要です。
これを同性婚に当てはめると……
憲法に「両性の合意」とある以上やはり認められないことになりますね。
(当たり前といわれそうですが)
ですから、憲法を改正する必要がありそうです。
「婚姻関係を結ぶ両者の合意」
とかね。
解釈でどうにかなるのかな、とも思ったんですけどね。
改正となると少々荷が重い。
ただでさえ日本の憲法は硬性憲法なので改正は難しい。
同性婚について改正の動きが出るとは今の時点では思えませんね。
ついでにもう一言。
憲法は「変えてはならないもの」ではありません。
人間あっての憲法、法律です。
ですから、社会と憲法が合わないなら、変わらなければならないのは憲法の方です。
変える必要があるなら変えなければならない。
9条だってそう。
憲法9条を死守して他国から攻められても自衛できないなんてナンセンス。
外国から攻められる危険があるなら、
テロ組織からの攻撃の危険があるなら、
9条を変えてでも日本を守らなければならないのではないでしょうか。
出来ることなら変えない方がいいとは思います。
平和に貢献していないとはいえないでしょうから。
しかし、現実的に考えて必要な改正をしないのはただの甘え。
今の日本には必要な時にきっぱり変える強さが必要なのではないでしょうか。
私は国際関係についての専門家ではないので、他国からの攻撃の可能性なんて分かりません。
なのでその点は専門家の方に判断して貰いたいと思います。
ですがその判断を鵜呑みにせず、
最終的には自分で考えた結果として改正への賛成、反対の意見を示したいですね。
そうして考えた結論が9条改正反対なら……それはそれで有りだと思います。
要するに何も考えずに反対だけ言うのはどうなのかなと言うことです。
現に隣国との関係が良いとはいえない日本なのだから。
今日は久し振りの学校で国家公務員の内定が出ている友人と話しました。
公務員ってなるまでもなった後も大変な職種なんですよね。
(勿論、職種によっては楽かもしれませんが、
国家事務、公共団体事務って責任を伴う仕事ですから
絶対に楽なんてありえないと思います。
楽だと言う方はそれだけ頑張った結果、楽に思うほどになったのではないかな、と)
そんな友人と国家公務員についての話題から。
公務員の数やら給料やらの話題が新聞の紙面を賑わす事も多々ありますよね。
やれ数が多いだとか、やれ給料が高いだとか。
何かとネガティブな話題ばかりです。
しかし、本当にネガティブな話題ばかりの職業なのでしょうか。
国家公務員って物凄く激務なのを皆様ご存知ですか?
仕事内容も仕事の責任も。
例えば不動産登記。
相続やら売買やらした時に登記を変更しなきゃならないと言うのはご存じな方は多いのではないでしょうか。
だからこそ司法書士が儲かる……というか仕事が多いって。
民間は司法書士に頼めば良いですが、その後のデータの入力、管理、整理は全て法務局の仕事です。
一件、二件ならまだしも何百件とあればそれはもう大変なわけで。
激務なんだそうです。
だから福利厚生がしっかりして給料がある程度貰えないとやっていけない。
このような公務員の人の仕事があるからこそ私たちの暮らしが不都合なくやっていけるんですよね。
行政が扱う分野が広がったおかげで人数に比べて多すぎる仕事をこなさなきゃならない。
行政の仕事が滞ったら困るのは私たち国民です。
普段の生活では感じませんが、私たちの生活の隅々に行政は関わっています。
わかりやすいものだと運転免許の交付とか道路の整備とか。
批判は自由です。
根拠も何もない悪口や妬みはあまり良いものだと思いませんが、
自分の中の意見を表明する批判はあるべきもの。
ですが、批判をする前に今一度しっかりと事実を見たいものですね。
公務員が多い、公務員は給料が高い、公務員は安定している……
裏では私たちの想像が及ばない大変な仕事をしている公務員もいます。
私たちの税金で高い給料を貰うだけの働きはしているんですよ。
それから。国家公務員は(残念ながら地方公務員を目指した友人はいないので分からないのですが…)なるまでが大変です。
我が友人は二人ほど公務員試験突破に向けて勉強していたのですが、
その道乗りは楽じゃありませんね。
今年は試験も難しかったようですし。
生半可な頑張りじゃなれないんですよね。
そんな試験を通過し、公務員として激務をこなす。
ただ批判されるだけの存在ではない気がするんだよな…
法律だって全然完璧じゃないし。
現実世界に合わない部分もたくさんあるし。
完璧でないからこそ改正されたり違憲判決やらでたりするわけだし。
ですが、法律が社会のルールの一角を担うのもまた確か。
だからこそ思ったこと。
自転車って車両……つまりは車と同じ扱いだという事はご存知だと思います。
(余談ですが、馬も車両なんだよね。
自転車と同じ軽車両)
そのため本来は車道を走らなければならないんですよ。
ですが車の通りが多い、しかも狭い道だとかえって邪魔になる事もしばしば。
歩道を通る人がいなかったりすると「そっち通れよ」と思うこともあります。
(車運転若葉マークの私は毎度自転車におっかなびっくりです)
歩道を歩く人が少ない時は良いかもしれない。
では、人が多いときは?
私は歩道を走るべきじゃないと思う。
本来車道を走るべきなんだから、車の交通量が多かったとしても車道を通るべきです。
歩道はあくまで「歩」道、歩くための道なのだから。
それをベルを鳴らして歩行者を退かしながら自転車に乗る人ってなんなのだろうか。
勿論、道を広がってあるく歩行者もマナーがなっていないと思います。
ですが、それを自転車で通る為にベルを鳴らして退けるってどうなんだろう。
まるで将軍様のお通りみたいにさ。
まだ「すみません、通して下さい」って言った方が好感持てるな。
(それでも車道を通るべきだと思うけれどね)
混んでいる歩道を通るなら押して歩くのがマナーだと思います。
法律云々以前に危ない。
歩行者もだけど、減速してふらふらしながらベルを鳴らす自転車も危ない。
車と同様、事故が起こったら自転車が悪いって言われかねない訳ですから。
そんなに自転車に乗ったままがいいのなら車道を走ればいいのに。
(そうすれば車が悪い事になるね)
どうか皆様混んでいる道では道路交通法並びに標識に従って下さい。
(自転車と歩行者の両方がOKの場所は歩行者優先だった気がする。
あやふやだけど。
その点もお気をつけ下さい)
教え子の勉強を見ている時に一言。
「選挙とか興味ないなー」
「時間がもったいないし」
まあ、そうでしょうね。
逆に君らの年で興味があったらこっちが吃驚だよ。
(お姉さんはそんな子がいたら会ってみたいぞ!)
しかし、私は自分の専門分野云々のせいで、ちょっと不服……というか悲しくなりまして。
だって将来の日本を担う子達なんですよ?
国に興味がないのは悲しいじゃないですか。
ということで、授業中の雑談の一環としてちょっと日本について話してみることに。
「でも、日本って今借金が多いよね」
いいタイミングで生徒が話題を出してくれた!
「そうだね。その計算だと君たちの肩にも万ととか億の単位の借金がかかっているんだよ。単純に借金を人口で割った計算だけど」
少し悩む子。純粋ですな。
「それってさ、生まれながらに借金があるってことだよな」
そうそう。
「だからほら、選挙で借金返してくれそうなところに投票すればいいんじゃないかな」
「なるほど!」
「今回も消費税が上がるーとか行っていたでしょう?」
「うん」
「それが嫌な人は上げないっていっている人に投票するってこともできるんだよ」
ここまで行くと、選挙もまんざらでもないと思うらしい。
顔つきが変わるのでわかります。
投票も悪くはないのかなと思ってくれたらしい。やったね。
私は、今の『大人』にもこういう感覚を持ってもらいたいなと思います。
「自分ひとりが投票したって変わらない」
と思うのではなく、
「自分が意思表示をしてかえてやる」
くらいの意気込みが欲しいものです。
いつだったかに読んだ本にこんな一節があった気がします。
「政治家は国民が作る」
うーん、確かにって思いませんか?
政治を自らの生活に直結するものと認識でき、自国のことを考える事が出来れば政治家だって良くなるはず。
だって、考えている人間に口先八丁は通用しないでしょう?
いつでも考えろとは言わない。
選挙の時期や政治の話題が上がった時だけでもいい。
政治のこと、国のことを考えてみませんか。
この国を改良するのも改悪するのも政治家でなく、私達なんです。
それに、政治家に文句を言うなら選挙で(たとえ白票であっても)投票してからにしてもらいたいです。
だって、投票しないってことは政治に関心がないってことでしょうでしょう?
関心があるならどういう意思表示であれすると思うのですよ。
関心がないことに対して文句を言うってどうなの?
政治家に文句を言う前に貴方方は政治に対してアクションを起こしたの?
起こしていないのに、自分の要望を伝えていないのに思うようにいかないから文句を言うなんて子供よりタチが悪いじゃないですか。
子供みたいに、とまでは行きませんが、
大人にこそ政治や選挙の良い面も見てもらいたいものです。
癖が強く変わり者で、自他共に認めるフェミニスト
でも老若男女問わず、人間大好きです
故にパンセクシャル(全性愛)かと
序に、世話好き・甘やかしたがり
趣味は小説を書くことと放浪という名の旅行、
知識を付けるための勉強
酒ならビールと蒸留酒が好き
考えていないようにみえて実は考えていたり
好きなものについて語らせたら止まりません
……ですが、どうぞ宜しく